デス・ライティングを1週間やって気づいたこと

最近、デス・ライティングというものをやってみた。「◯日後に死ぬとしたら」という書き出しで、死ぬまでに何をしたいか書き出すというもの。1日10分を1週間。

タイトルは怖い感じだけど、要するに◯日後に死ぬと想定して、やりたいことを書き出すことで、「でも死なないよね、やりたいことだっていくらでもできるよね。生きている自分はそれだけで素晴らしいよね」ということに気づくためのもの(と理解している)。

自分なりにやってみた感想を書こうと思う。

私は「1ヶ月後に死ぬとしたら」という設定にしてみた。30日間で何をしたいかなぁ、とボンヤリ考えてみたら、まず出てきたのは「◯◯の活動を辞める」「◯◯(人の名前)と会うのを止める」など、“やめる”だった。

今の自分はガマンが多いことに気づく。実際に、それをやめるかどうかはここではそれほど重要ではない。日々頑張っている自分に改めて気づいて「偉いぞ」と言ってやる。

そうやって浮かんできた“やめる”を想像の中で実行したあと、初めて「やりたいこと」が出てきた。

アクセサリー作品作りを独学ではなく人に習いに行きたい。実際に(本気で)販売したい。作ったものを丁寧に梱包すること、メッセージをつけること。そんな自分の「好き」をリアルに感じられた。

1週間書き続けてわかったのは、自分がワクワクした日々を過ごすというのが、何よりも大事ということ。我慢の状態では人への優しさも湧いてこない。新しいアイディアも、ただ自分の欲を満たすだけだったりしてしまう。それこそ偽善。

私は人に優しくしたいし、応援もしたい。でも、それ以前に自分に優しく、自分の1番の理解者でありたい。自分に優しく、自分を許せる人が、本当の意味で、人にも優しく人を許せるのだと思う。それは、人を甘やかすのではなく、その人の可能性を本気で信じて成長を見守ることにも通ずる。

本来ならデス・ライティングは「自分のやりたいことがいつだってできる!」というのを発見するためのワークだけれど、私にとっては「今の自分の状態に気づき、その上で、自分がどうありたいか」を再認識するためのとても良いワークとなった。

気づかず頑張りすぎる。気づかず我慢を溜め込んでしまう。自分にはそう言う特性があることがわかれば、ときどきそれを発散することもできる。発散したら、次に進むエネルギーが湧いてくる。根拠はないけど、実体験としてわかっている。

自分に気づく

自分が自分の1番の理解者になろう。